横浜でソフトバレーボール大会に参加しました
3月16日、横浜文化体育館で開かれた、横浜市体育指導員連絡協議会設立50周年大会に、当会の白井貴子副代表理事と矢野廣美理事が招かれ、指導員と一緒にソフトバレーボールを楽しみました。
この協議会は昨年、私たちが難民支援でネパールへ行った際、あげてバックアップしていただきました。今回はそのお礼と報告を兼ね、宮嶋、奥本両理事、さらにソフトバレーボールの助っ人として日体大生の迫田真史くんと平田知沙さんを加えた総勢6人で参加しました。
ロビーには2枚のホワイトボードを用意していただき、宮嶋理事がプリントした、ネパールでの支援活動を伝える写真、先月消失した難民キャンプ「ゴールドハップ」の生々しい写真など約20枚を貼って、報告方々、新たな募金を呼び掛けました。
大会には市内各区の体育指導者約1500人が集まり、区対抗の綱引きとソフトバレーボール(4人制)で日ごろの技を競い合いました。白井、矢野のメダリストは劣勢のチームの”ピンチヒッター”で手助けしましたが、本番はエキシビション。コートの回りに人だかりが出来、スタンドも注目です。
オールアウェーの中で、第1セットは柴田会長率いるリーダー・チーム。6-8の劣勢に「かつての面影はないな」の声が聞こえます。これに反発するように、白井さんの巧みなサーブで一気に逆転して10-8で勝ちました。
第2セットからは優勝した泉区チームが雪辱に燃え、大声援を受けて登場です。6-10であっさりとられ、「やっぱりソフトバレーは勝手が違うな」と思っていましたら、ファイナルでは大接戦となりました。8-9とマッチポイント取られてから「メダリストの魂は生きていた」。ジュースに持ち込み11-9で、またも逆転で、それこそ面目を保ちました。とはいえ、迫田、平田のヤングパワーが大きな支えになったことは間違いありません。
「久々にコートに入ると人格が変わりました。身体は動きませんでしたが、気持でがんばりました」と言って白井副代表理事は笑いを誘いました。矢野理事は「山梨から3時間かけてきました。かつて港南区に住んでいましたので、横浜は第2のふるさとです。こらからも楽しいスポーツをやりたいと思います」と言って大きな拍手を浴びました。
散会後、指導員の皆さんから相次いで募金をいただき、メダリスト二人ははがきにサインをして、ささやかなお礼の印としました。横浜市体育指導員連絡協議会の皆さん、本当にありがとうございました。なにかと面倒をみていただいた横浜市市民活力推進局スポーツ振興課の皆さん、お世話様でした。募金はUNHCRと相談しながら有効に生かしたいと考えています。







矢野です。
横浜文化体育館の帰りに山梨の「まほらの湯」で、ひと風呂あびて今帰ってきました。
思うように体は動きませんでしたが、めちゃめちゃ爽やかな気分でした。
金メダル獲得以来、人前で試合をするときは、見本になるようなプレーをしなければならないし、それが当たり前だと洗脳されていましたので、今まで30年間プレーすることを避けてきました。
「バレーボール = 完璧」
そんな私をほぐしてくれたのは、難民へのスポーツ支援がきっかけでした。
そして今日、横浜市体育指導委員の皆さん達とやったゲームは、日本で初めて味わった、たのしく爽やかな後味のするバレーボールでした。
「勝たなければならないバレー」から脱出するまで実に30年以上もかかりました。
今日は、おかげさまで溜まっていたストレスも発散できて、さあ明日からまた
仕事を頑張ろうと言う気になりました。
本当にありがとうございました。
昨年のダマク難民キャンプが私にとってのスタートかもしれません。
これからもがんばっていきます。矢野
投稿: 矢野広美 | 2008年3月20日 (木) 08時14分
皆様
ネパール支援の際にお世話になりました大津です。
ご無沙汰しております。
現在は、JICA横浜を辞めて 名古屋で不登校生を対象にした学校で教師をやっております。
さて、上記横浜市体育協会での活動、お疲れ様でした!矢野さんの「勝たなければいけないバレー」を脱出するのに30年との言葉・・いやはや、非常に重たい言葉と感じております。実は、友人が横浜体育協会スタッフだったので、なんとなく活動話は聞いておりました。
もし、名古屋で当会の活動がございましたら、ぜひご連絡いただければ幸いでございます。名古屋にきてからというもの、、バレーを一切やっておりませんので・・少なからずお手伝いができればと思っております。
追伸:ネパールの火事の件は、本当に驚きました。私たちでできることを支援していきたいですね。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
大津和範
投稿: 大津 | 2008年4月 8日 (火) 22時56分